佐藤敬さんインタビュー
淡い黄色がやさしく、素朴ながらどこか繊細さも感じさせる器。
それらを生み出しているのが、陶芸家の佐藤敬さんだ。
益子に伝わる蹴ろくろの技術を引き継ぎ、そこに新たな感性を加えて
現代の食卓にも合う日常の器を作り続けている。
セレクトショップや人気ギャラリーで扱われるなど
若者からの人気も高い佐藤さんに、作品づくりについてうかがった。
益子に伝わる技術を次世代に継ぐ。
大切なのは、楽しく続けるということ。
―――佐藤さんの作品は、典型的な益子焼と少し雰囲気が異なりますね。黄粉引という技法とのことですが、それはどういったものでしょうか。
佐藤 僕は25歳で益子にやってきたのですが、当時、益子の若い陶芸家たちには、ジャンルにこだわらない作品に挑戦する雰囲気がありました。その中で僕も自然に、伝統的な益子焼に拘らず色々な釉薬を試していました。そして試行錯誤を重ねるうちに、黄粉引の器ができあがり、今の僕の作品のメインになっています。
黄粉引は、粉引という言葉から派生した造語です。粉引は李氏朝鮮から伝わった技法で、粘土の上を白い泥でコーティングしてから釉薬をかけて焼き、乳白色に仕上げるというもの。釉薬は、数種類の原料を混ぜて好みの調合を探すのですが、僕も益子に来てしばらくいろいろと試したものの、しっくりくるものが見つからなくて。そんな時、たまたま陶芸家仲間がマット釉を使っているのを見かけました。マット釉はざらっとした質感を出す釉薬なのですが、これを粉引の仕上げに使ったらどうなるだろうかと試してみたところ、淡い黄色の器に焼き上がったんです。その色がとても美しくて気に入って、じゃあ自分はこれでやっていこう、となったわけです。
―――25歳で益子に移住されたとのことですが、陶芸を始めるまでの経緯はどのようなものでしょうか。
佐藤 長野県で生まれましたが、10歳までは東京で暮らし、それから茨城県に引っ越しました。そこで通っていた高校に陶芸の授業があり、電動ろくろを使わせてもらえました。それが陶芸との出会いです。僕は幼い頃から手先の器用さにはちょっと自信があって、何かを作れば、だいたい自分のイメージ通りにできたんですね。ところが、ろくろを使ってみたら、全くうまくいかない。そのことがかえって僕の心に引っかかり、また陶芸をやってみたいという気持ちを抱くようになりました。
その後、アメリカの大学に留学したのですが、早く職人の道を目指した方がいいのかもしれないと思い立ち、1年で帰国しました。それで帰国後、近所の陶芸家の助手を務めたのち、唐津に修行に出かけました。唐津を選んだのは、蹴ろくろを学べると思ったからです。その頃、美術館で陶芸作品を見るたびに、古いものは現代作家が作ったものと全く違うと感じていました。その要因のひとつとして蹴ろくろがあると考え、習得したかったんですね。蹴ろくろに対するあこがれもありました。
―――その後、益子に行くことになったのには、どのようなきっかけがあったのでしょうか。
佐藤 唐津では蹴ろくろだけで作っている陶房がその当時少なくて、3ヶ月ほど勉強してすぐ茨城に戻ってきたんです。どうしたらもっと蹴ろくろが学べるかなと考えていた頃、材料を仕入れに益子に行き、その際、ある陶芸家の個展に立ち寄りました。すると、その作家さんご本人がいらっしゃって、僕が「蹴ろくろを学びたいと思っている」という話をしたら、「じゃあ、成井恒雄さんのところに行ってみれば」と言われて。
実は、成井恒雄さんという方は、益子では当時から有名な方で、その陶房には、近所の人や焼き物仲間が1日中集まってお茶なんかしているオープンなところだったんです。僕がいきなり訪ねた時も「まあ、お茶でも」なんて勧められて(笑)。それで、「蹴ろくろを学ばせてほしい」と頼んだら、一度は断られたんですが、しばらく話すうちに、「じゃあ、週1回くらい来てみたら」と言ってもらえ、通うようになりました。
―――成井さんのところではどのようなことを習いましたか?
佐藤 まずは、「土もみ」といって、土をこねることから始めました。でも、僕がいつも通りこねると、「違う!」と。僕が知る土もみは、とにかく土から空気を追い出すことでした。土に空気が残っていると、焼いた時に破裂すると教わってきたんです。でも成井さんの土もみは真逆で、とにかく土に空気を入れろというもので。親指で押して穴を空けて土にたっぷり空気を入れて、ふわふわのパン生地のように柔らかくするイメージです。その土を使うと、ろくろを引いている時から、ふんわり柔らかい表情が出るのを感じました。空気のない土で作る器が工業製品的だとしたら、空気の入った土で作る器は、畑で穫れたじゃがいもといえるほどの違いがあります。まんべんなく空気を入れるので、焼いて割れることもありません。この土もみを学べた段階ですぐに、成井さんのところに来てよかったな、と思いましたね。
その次は、蹴ろくろの使い方を、ただ蹴るところから順を追って習い、小さい作品から大きい作品へと作りながら、形にするときの手の使い方を学んでいきました。
――――佐藤さんは、ろくろを回しながら、器の縁の一部を内側にひしゃげるようにしますね。その手を離していくと、器が広がって形が整う。これはとても変わった作り方に見えます。
佐藤 そうですね。そういった手の使い方は成井さんに教わったものですが、おそらく成井さん独自の手法だと思います。通常、器を大きくする場合、粘土を手で挟んで、薄く伸ばすことで広げていくわけです。ところが、成井さんから習った方法では、左右の手の各指を押したり引いたり色々な使い方をして、結果的に伸びるという感じです。
こういうのを成井さんは「土を動かす」と表現していました。この手法は手で作るからこそのもので、機械とは違った変化が出ておもしろいと思います。
―――成井さんのもとで1年間学ばれたということですが、その後はずっと蹴ろくろだけで作っていらっしゃるのですか?
佐藤 ずっと蹴ろくろですね。僕の場合、蹴ろくろだと、回転を早くしたり遅くしたりが、頭で考えるよりも先にできる。ろくろの回転って、作品にしっかり表れるんです。この回転の速さこそが、作品の個性だという人もいるほど。自分の力加減で速さを調節し、回転を直接、粘土に伝えられることが蹴ろくろの面白さだと思います。すっかり慣れてしまったので、電動に戻すことは考えていません。足腰が弱くなって蹴られなくなるまでは、蹴ろくろでやっていきたいと思っています。
―――益子で継がれてきた成井さんの技術は、ぜひ次の世代に引き継がれてほしいですね。
佐藤 そうですね。成井さんに教わった技術って、教わらなければ絶対にたどり着けないものだと思うんですよね。逆に、教われば誰でもできるものかもしれない。ただ、こういう変わった作り方をおもしろいと感じられることが、とても大切だと思っています。例え売れなくても、そういうのをおもしろがる気持ちを持って作るという姿勢は、途絶えさせちゃいけないなと思いますね。
成井さんの言葉に、「だめでいいんだ」というものがあり、印象に残っています。この言葉は、自分のだめさ加減を認めた上で、やれることを毎日少しずつやればいいんじゃないかという意味だととらえています。頑張りや根性で続けるのではなく、楽しさを見つけて続けるということ。やり続けるということだけで十分だと、自分を肯定して生きていければいいなと思っています。
―――最後に、佐藤さんにとって益子の魅力はどんなところでしょうか。
佐藤 東京から日帰りで来られる距離で、人が集まりやすい街だという点でしょうか。ものづくりをする人がたくさん住んでいるので、そういう中で刺激を受けることもたくさんあります。街の人も、やってきた人たちを受け入れる雰囲気がありますね。
僕も、もし海外から蹴ろくろを学びたいという方がいらっしゃったら、喜んでお教えしますよ。
佐藤敬 略歴
lib company代表。
1976年長野県生まれ。中学卒業まで東京都や茨城県で過ごす。
高校の授業で初めてろくろに触れる。
アメリカの大学に1年間留学後、唐津で3ヶ月修行し、茨城で作業活動を開始。
25歳で益子の陶芸作家、成井恒雄に師事し、以来、益子で活動を続ける。
作品はスターネットなどで販売している。