加藤靖子(かとうやすこ)さんインタビュー

Yasuko Kato

(あか)(みどり)(むらさき)()…。(あざや)やかな色彩(しきさい)(えが)かれる(むし)(さかな)(ねこ)にイグアナ。
()ていると(おも)わず()みがこぼれるような、ユーモラスでカラフルな()(もの)()(えが)くのは、益子在住(ましこざいじゅう)画家(がか)加藤靖子(かとうやすこ)さんだ。
ビビットな色合(いろあ)いはすべて色鉛筆(いろえんぴつ)表現(ひょうげん)されている。
個展(こてん)(ひら)くたびに作品(さくひん)好評(こうひょう)()ている加藤(かとう)さんに、
作品(さくひん)のこだわりや益子(ましこ)への(おも)いをうかがった。

絵本(えほん)から()()したようなユニークな()(もの)()
その原点(げんてん)は、()まれ(そだ)った益子(ましこ)自然(しぜん)

Yasuko Kato

―――加藤(かとう)さんの作品(さくひん)は、()(もの)がモチーフになっていることが印象的(いんしょうてき)です。なぜこうした()()くようになったのでしょうか。

加藤(かとう) (わたし)場合(ばあい)()(もの)()こうと()めて()(はじ)めたというより、自然(しぜん)()くようになっていたという(かん)じですね。()きな()(もの)をもとに、空想(くうそう)(ふく)らませて()いています。
(わたし)()まれも(そだ)ちも益子(ましこ)で、大学(だいがく)(はい)ってからの数年間(すうねんかん)をのぞいて、ずっと益子町(ましこまち)()んでいます。高校生(こうこうせい)までは(まち)中心部(ちゅうしんぶ)から(すこ)(はな)れた地区(ちく)()んでいたのですが、とても自然豊(しぜんゆた)かな環境(かんきょう)だったので、毎日(まいにち)魚釣(さかなつ)りや虫捕(むしと)りばかりしていましたね。
(とく)(むし)大好(だいす)きです。(いろ)模様(もよう)(うつく)しい。(ひと)はあれこれ(おも)(なや)んだりするけれど、(むし)寡黙(かもく)純粋(じゅんすい)(むし)は、(わたし)作品(さくひん)(おお)きな影響(えいきょう)(あた)えていると(おも)います。(いま)も、しょっちゅう実家(じっか)(にわ)近所(きんじょ)散歩(さんぽ)しては(むし)観察(かんさつ)をしています。
それから、(わたし)()にはよくイグアナが登場(とうじょう)しますが、これは子供(こども)(ころ)()っていたイグアナの影響(えいきょう)ですね。13年間(ねんかん)大切(たいせつ)(そだ)てましたが、数年前(すうねんまえ)()んでしまいました。イグアナの()は、感情(かんじょう)はなく恐竜(きょうりゅう)のようですが、とても印象的(いんしょうてき)(ほか)()(もの)()いていても()だけイグアナになってしまうこともあります。

Yasuko Kato

―――加藤(かとう)さんはご両親(りょうしん)陶芸家(とうげいか)、おじいさまが画家(がか)であり陶芸家(とうげいか)というアーチストご一家(いっか)とのこと。()()くようになったのは、ご家族(かぞく)からの影響(えいきょう)ですか。

加藤(かとう) 祖父(そふ)東京(とうきょう)画家(がか)をしていましたが、益子(ましこ)()()って(うつ)()み、陶芸(とうげい)(はじ)めたのだそうです。祖父(そふ)はいつも片手(かたて)にスケッチブックを()(ある)いて、(なに)()つけるとすぐにスケッチしていました。(わたし)両親(りょうしん)個展(こてん)などで留守(るす)にするときは祖父母(そふぼ)(いえ)(あず)けられて、()()祖父(そふ)身近(みぢか)()ていました。祖父(そふ)口数(くちかず)(すく)ない(ひと)で、()(おし)えてもらったことはありませんでしたが、(わたし)()()くことが()きになり、中学(ちゅうがく)高校(こうこう)美術部(びじゅつぶ)に、大学(だいがく)栃木県(とちぎけん)宇都宮市(うつのみやし)にある芸大(げいだい)(すす)みました。陶芸(とうげい)(みち)には(すす)まず絵描(えか)きを目指(めざ)すようになったのは、やはり祖父(そふ)影響(えいきょう)があるでしょうね。
芸大(げいだい)では()わった(ひと)がたくさんいて、個性(こせい)()してもいい安心感(あんしんかん)があり、とても居心地(いごこち)がよく、さまざまな刺激(しげき)()けました。

Yasuko Kato

―――加藤(かとう)さんの作品(さくひん)(あざ)やかな(いろ)は、色鉛筆(いろえんぴつ)着色(ちゃくしょく)されているんですよね。色鉛筆(いろえんぴつ)を使うようになったのには、どのような経緯(けいい)があるのでしょうか。

加藤(かとう) 大学(だいがく)では日本画(にほんが)専攻(せんこう)していました。日本画(にほんが)では岩絵具(いわえのぐ)という鉱物(こうぶつ)絵具(えのぐ)使(つか)うのですが、当時(とうじ)から(いま)(おな)じような()()いていましたね。先生(せんせい)には日本画(にほんが)らしくないと(おこ)られていましたが((わらい))。
卒業(そつぎょう)してからも絵描(えか)きを目指(めざ)して()()(つづ)けていましたが、岩絵具(いわえのぐ)はとても高価(こうか)気軽(きがる)には使(つか)えない。それで色鉛筆(いろえんぴつ)使(つか)(はじ)めました。色鉛筆(いろえんぴつ)(かた)いイメージがありますが、油分(ゆぶん)(おお)いものはクレヨンのように(やわ)らかく、とても発色(はっしょく)がいいんです。さらに(わたし)力強(ちからづよ)()(くせ)があるようで、このような色合(いろあ)いの()になります。
岩絵具(いわえのぐ)()いていた(ころ)はもっと(くら)雰囲気(ふんいき)()だったのが、色鉛筆(いろえんぴつ)()くとカラフルで(あか)るい()になりました。油絵具(あぶらえのぐ)やアクリル絵具(えのぐ)(くら)べても、絵本(えほん)のような雰囲気(ふんいき)()まれて、(わたし)()()っているようです。

Yasuko Kato

―――大学(だいがく)卒業(そつぎょう)してからも画家(がか)目指(めざ)して()()いていたということですが、具体的(ぐたいてき)にどのような創作活動(そうさくかつどう)をされていましたか。

加藤(かとう) 卒業(そつぎょう)してから6年間(ねんかん)は、大学(だいがく)のあった宇都宮(うつのみや)でアルバイトをしながら()()くという生活(せいかつ)でした。でもアルバイトの(ほう)(いそが)しくなってしまって()()時間(じかん)がなかなか(つく)れず、たまの休日(きゅうじつ)か、仕事(しごと)()わってからの深夜(しんや)()くなど苦労(くろう)しましたね。
でも(いそが)しい(なか)でも、益子(ましこ)陶器市(とうきいち)にだけは、(ねん)に2(かい)(かなら)参加(さんか)するようにしていました。陶器市(とうきいち)は、(わか)作家(さっか)自分(じぶん)作品(さくひん)発表(はっぴょう)できる貴重(きちょう)()なんです。自分(じぶん)展覧会(てんらんかい)(ひら)けるようになるまでは、(ちい)さい作品(さくひん)()きためては陶器市(とうきいち)路上(ろじょう)()るということを()けていました。

Yasuko Kato

―――益子陶器市(ましことうきいち)は、とても人気(にんき)で、毎年(まいとし)たくさんの(かた)(おとず)れるそうですね。

加藤(かとう) 陶器市(とうきいち)(いま)は、(わか)(ひと)中心(ちゅうしん)にどんどんいいものに()えていってくれて、素晴(すば)らしいアートイベントになっています。陶芸家(とうげいか)だけでなくさまざまなジャンルの作家(さっか)さんが作品(さくひん)発表(はっぴょう)し、直接作家(ちょくせつさっか)さんと出会(であ)えるとてもいい機会(きかい)()でテントを()んだり、実際(じっさい)のお(みせ)のようにきれいに作品(さくひん)展示(てんじ)したり、(みな)さん工夫(くふう)()らして作品(さくひん)()せていて、とても素敵(すてき)です。    
(※益子陶器市(ましことうきいち)は2021年春(ねんはる)新型(しんがた)コロナウイルス感染防止(かんせんぼうし)のため中止(ちゅうし)。2021年秋(ねんあき)開催(かいさい)は10(がつ)30(にち)〜11(がつ)3()予定(よてい)

―――益子(ましこ)陶器市(とうきいち)作品(さくひん)発表(はっぴょう)しながら宇都宮(うつのみや)()らしたのち、(ふたた)益子(ましこ)(もど)って()られたんですね。

加藤(かとう) 子供(こども)(ころ)は、正直(しょうじき)()うと、益子(ましこ)(すこ)苦手(にがて)なところがあったんです。()っている(ひと)だらけで、(せま)世界(せかい)のように(かん)じてしまったりして。
でも、絵描(えか)きとして(もど)って()てみたら、益子(ましこ)作家(さっか)さんがたくさん()独特(どくとく)(まち)だということに()づかされました。
(わたし)もですが、ものづくりの作家(さっか)さんって(すこ)()わっている(ひと)(おお)いと(おも)うんです。不器用(ぶきよう)だったりずれていたり…。でも、益子(ましこ)にはそういうちょっと()わった作家(さっか)さんがたくさん()んでいるから、(わたし)(はなし)()かってもらえるし、(なに)かがやりやすく、()きやすい場所(ばしょ)だなと(かん)じます。芸大(げいだい)(かよ)っていた(ころ)(かん)じた居心地(いごこち)のよさと()ていますね。
さらに、1年中(ねんじゅう)、あちこちで展覧会(てんらんかい)があって、作家(さっか)さんが自分(じぶん)作品(さくひん)発表(はっぴょう)できる()がたくさんある。そして、(まち)もそれを応援(おうえん)してくれる。そんな(まち)(ほか)にはないだろうなって(おも)います。

Yasuko Kato

―――最後(さいご)に、今後(こんご)創作活動(そうさくかつどう)展望(てんぼう)をお()かせください。

加藤(かとう) 今後(こんご)も、益子(ましこ)中心(ちゅうしん)展覧会(てんらんかい)をできたらと(おも)っています。そこからさらに活動(かつどう)(ひろ)げられたらとは(おも)いますが、(いま)はひとつずつ()(まえ)のことを頑張(がんば)っていこう!という(かん)じですね。
(すこ)(まえ)に、益子(ましこ)知人(ちじん)(さそ)われて、アートのお(まつ)りの一環(いっかん)で、2()関係者(かんけいしゃ)(かた)と、ガラスに()()くワークショップに参加(さんか)しました。人前(ひとまえ)()()くのは苦手(にがて)(ことわ)ろうと(おも)っていたのですが、(さそ)ってくれた(かた)本当(ほんとう)にいい(かた)で、挑戦(ちょうせん)してみることになりました。益子(ましこ)での(ひと)とのつながりが、活動(かつどう)(はば)(ひろ)げているように(かん)じます。
益子(ましこ)(もど)ってきてから、作家(さっか)さんだけでなく、いろいろな(かた)とのつながりができて、()きな(ひと)がたくさん()えました。これまではずっと()(もの)()きで、そればかりを()いてきました。でも最近(さいきん)は、人間(にんげん)()(なか)()てくるようになっています。人間以外(にんげんいがい)(べつ)(かたち)になってはいるのですが((わらい))。
(いま)は、まずは来年(らいねん)益子(ましこ)での個展(こてん)()まっているので、それに()けて作品(さくひん)構想(こうそう)(かんが)(はじ)めているところです。

Yasuko Kato

加藤靖子(かとうやすこ)  略歴(りゃくれき)

2004(ねん) 文星芸術大学(ぶんせいげいじゅつだいがく) 日本画(にほんが)コース卒業(そつぎょう)
大学卒業後(だいがくそつぎょうご)は、アルバイトをしながら創作活動(そうさくかつどう)(おこな)い、(ねん)2回開催(かいかいさい)される益子町(ましこまち)のアートイベント「益子町陶器市(ましこまちとうきいち)」にて(ちい)さな()販売(はんばい)
2010(ねん) もてぎ里山(さとやま)アートフェスタ 初参加(はつさんか)ほか
2011(ねん) 益子町(ましこまち)益古時計(ましことけい)」にて初親子展(はつおやこてん)ほか
2012(ねん) アートギャラリー「目白(めじろ) FURO」にて3人展(にんてん)ほか
2013(ねん) 宇都宮(うつのみや)「CAFE KENZO SUN」にて3人展(にんてん)吉祥寺(きちじょうじ)東急(とうきゅう)」にて3人展(にんてん)ほか
2014(ねん) 那須(なす)(ゆう)クラフト」にて3人展(にんてん)ほか
2015(ねん) (だい)41(かい)現代童画店(げんだいどうがてん) 初入選(はつにゅうせん)ほか
2016(ねん) アートギャラリー「目白(めじろ) FURO」3人展(にんてん)ほか
その()多数(たすう)のグループ(てん)参加(さんか)

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